吉祥寺編に戻ってきたね🙌
猫たちは、お嬢DON、LANA、みつ子の3匹になってしまったが、DONを中心に平和に暮らしていた。相変わらず、みつ子のLANAイジメは続いていたが、知恵者LANAのすばしっこさには勝てず、DONの一喝で収まるというパターン。さらにDONはみつ子を枕に寝るようになり、その間、みつ子は身動きできずジッと我慢🤣
DONは14歳、みつ子は推定6歳、逆らえる年齢差ではないよね😭😭😭
2000年6月。
私は、秋葉原にある広告制作会社に入社した。ここは某大手スーパーのチラシ制作が主で、私はそこで校正の仕事をすることになった。
これまでも出版業界で仕事はしてきたが、校正だけはしたことがなかった。
初心者の私は、比較的締切が緩い会報誌の校正を担当した。
スーパーの折込チラシは、締切ギリギリまで価格変更がある。さらに価格のミスは100%NGだ。そのため印刷会社に詰めて、深夜、明方まで仕事をすることもあり、全くすごい仕事だと思った。
たまに人数が足りない時に、ヘルプに行ったことがあるが、大変だった。
スーパーのチラシか、とバカにできる仕事ではなく、夜中まで制作する人たちがいるからこそ、成り立っているんだと感動したものだ。
私は、ここで校正の仕事をしながら充実した毎日を送っていたのだが、年末に会社から、ある発表があった。
出版部を設立するための立上げメンバーを募集するというものだった。条件は雑誌の企画書の提出、筆記試験。
社員なら誰でも応募できるというものだった。
定員は3名だ。
実は、出版部設立の話は、入社前の面接時に聞いていた。私の経歴から、のちのち出版部に入ってもらうとも言われていたので、いよいよだなと思った。
自分の企画を書籍にできるのなら、やってみたい。
子どもの頃からの夢だった新聞記者もやった。
フリーライターで雑誌記事も書いてきた。
今度は書籍の編集者として企画を形にしてみたい。
私は雑誌創刊の企画書を作成して応募したのである。
そして、2001年4月。
私、Fさん、Aさんの女性3人が出版部メンバーに選ばれ、外部から編集長を入れて、4名で出版部がスタートしたのである…。
To be continued....