私がこのブログを使って文章を書き起こしているのは、これまでの人生を振り返り、とっ散らかっている記憶を整理整頓するためだ。心療内科に通っていた頃にアドバイスされたことを思い出し、幼少の頃からの記憶を辿り時系列に文章化している。そして、書き始めて早い段階で気づいたのは、愛の存在の有無で記憶の重さが違うことだった。
色鮮やかに蘇る記憶、そこには必ず愛が存在している。
そして、“J”の記憶も鮮やかな記憶として脳内に残っている。たった3ヶ月の出来事だったにもかかわらず。
1998年10月5日。
“J”は、25歳の生涯を閉じた。
あの日、青梅街道をYAMAHAセローに乗り、私の家に向かって飛ばしていたJは、駐車するために方向転換しようとした乗用車を避けきれずに衝突。乗用車の運転手の前方不注意が原因で、彼は即死状態だったという。
翌日、私が東小金井のアパートに電話した時には、何が起きているのかさっぱりわからず、すぐさま吉祥寺駅前に行き、店を出しているイスラエル人の友人に聞いて、初めて事実を知ったのだ。
BOSSが逝ったあと、突然、目の前に現れて、塞いでいる私をいつも笑わせていたJが、突然、目の前から消えてしまった。
YAMAHAセローの後ろに乗って、痛いほど日焼けした夏の日🔥
食事と言えばファミレスばっかりで、ホームセンターの買い物に付き合ったり、日本語読めないからって、通訳代りに呼び出されたり😡
菊おじさんに変な日本語で明るく挨拶して、おじさんを笑わせてたっけね😄
私専用のメットだって言って、新しいのを渡してくれたのに、あれっきりだったね。
「The Yellow Monkey... キュウコン I love it」
そう言って、一緒に歌ってたね。
私は、BOSSを失った喪失感から立ち直れてないのに、追い討ちをかけるようなJの死に直面して、魂が壊れる音を聴いていた。
To be continued...