1998年7月。
私は謎の外国人“J”と、吉祥寺駅前の定食屋に居た。
その日は「海の日」だというのに肌寒い日だった。
Jはイスラエル人、アクセサリーを路上で売る仕事をしていた。
吉祥寺駅前や井の頭公園など、当時はどこにでもそういう外国人が居たが今もいるのだろうか。
私はイスラエル人と話すのは初めてだった。
イスラエルと言えば、KISSのジーン・シモンズがイスラエル人だ。
ジーンは子供の頃、移民としてNYへ。大学卒業後はNYの小学校教師をやっていた経歴の持ち主。ジーンの大ファンの私としては、Jに興味を持つのはごく自然なことだった。
しかも彼はオートバイ乗りで、YAMAHAセロー225に乗っていた。共通の話題がいくつもあって、会話も弾んだ。セローの後ろに乗っけてもらって、青梅街道を爆走したりね。
オフロードバイクを乗りこなすJは、なかなかの走り屋で爽快だった。
久々のオートバイはさすがに気持ちいい! やっぱりオートバイ、いいなぁ!
くわえて、Jはやたらに明るい性格で、ペットロスで塞ぎがちだった私を笑わせてくれる貴重な人だった。
8月末、私はエステティックサロンを辞めた。精神状態もあまり良くなく、しばらく家で猫たちとのんびりしたいと思ったからだ。
しかし、あまりのんびりもしてもいられず、仕事を探さなければ、と思っていた時、アルバイト募集の張り紙が目に入った。
家に帰ってから電話をしてみたら、すぐに面接をしてくれるという。
私は、支度をして面接に出かけた。
そこは、細長いスペースに長いカウンターが奥まで続いているカウンターバー。
夜8:00から深夜3:00までの仕事だ。面接は問題なくパス。でも一つ条件があった。
年齢だ。
「客には29歳って言ってくれる? 吉祥寺は若い客が多いから35歳だとちょっとね…。若く見えるし29歳で大丈夫だから、ね!」
干支は酉年、1969年生まれ。間違っても卯年なんて言わないようにっと。
35歳って、もうおばさんなんだ。私は、フッと笑ってしまった。
実は、当時の私はかなりの酒豪だった。
酒を提供する店にとっては、もってこいの人材だったのである。とは言え、飲めば酔っ払う。29歳なんて忘れて、そのうち古い映画や音楽の話題で盛り上がるうちに、いつの間にか35歳だとバレた😅
「まーいいじゃないですか、飲めるんだから〜」
ってことで、35歳で突っ走った🤣🤣🤣
秋風が吹き始めた頃のこと、バイトがオフで私はJと食事の約束をしていた。
いつもセローで迎えに来るので、エンジンの音でわかる。
しかし、その日は約束の時間になってもなかなか現れない。
どうしたのか…とは思ったが、あまり気にもならなかった。
なんというか、気まま過ぎる性格というのか、いい加減というのか。
ま、明日アパートに電話してみよう。
そのくらいの感覚だった。
翌日。私はアパートに電話をした。
「Hi, it’s Yuka, may I speak to “J “ please?」
電話に出た男性はしばらく沈黙して、こう言った。
「He is not here anymore.」
うん? anymore ????
「Huh? Where is he now?」
電話の向こうでため息が聞こえた。
「He is in a hospital now..」
え?!
To be continued…