1997年4月。
私は吉祥寺のエステティックサロンで働き始めた。
もちろん全くの素人であるから、3ヵ月の研修から始まった。
毎日が勉強で、自分のことを考える隙間もないほど集中した。
日本に帰ってきてからエステティックサロンで仕事を始めるまでの間の私は、氷山が音を立てて崩れ、海中に沈んでいくような日々を過ごしていた。
そして今、それを言葉にするほど傷が癒えてないことに気づいた。
私とH、そして友人のYだけの胸に納めておきたい。そう思った…。
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2月半ば、私はHと吉祥寺の駅前のカフェで待ち合わせした。
Hに話さなければならないことがあったからだ。
「冗談じゃない!お前、何言ってるのかわかってんのか!」
Hとは別居後、定期的に会って話し合いをしていた。お互いの気持ちを確認して、離婚するかどうかを話し合った。不思議なことに、私たちは一緒に住んでいる時よりもずっと仲良くなって、居酒屋で飲んだり、カラオケで歌ったりして笑い転げていた。別居している意味がわからなくなるほど、仲良しだった。
しかし、あの日は違った。
泣きながら話す私に、Hは顔を真っ赤にして大声で怒鳴った。
店の客たちが驚いて私たちを見ていた。
興奮して怒ることなど滅多にないHだったが、限界だった。
Hは伝票を持って席を立った。
「いいか、俺は絶対に認めないからな」
そう言って、店を出て行った。
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そして春、私は羽田空港の掃除屋の仕事も、バンドのプロデュースの仕事も辞めて、エステティックサロンで働き始めたのだ。
家から近いことと、女性だけの職場に身を置きたいと思ったからだ。同僚も客も女だけの世界。男は一切関わらない仕事。
ここでなら、耐えられるかもしれない、そう思ったのだ。
ここで私は少しずつ癒されていったことがわかる。
女性の優しさや強さ、弱さを共有することが、私に平安をもたらしてくれたのだ。
仕事が終わると、たまにみんなで飲みに行く。女だけで。
こんな経験が、これまでの私にはなかったのだ。考えてみれば気のおける女の友達がいなかった。新鮮な楽しさ。
そして相変わらず私とHは、定期的に話し合いをしていた。
Hのご両親には別居は内緒にしていたので、お誕生日やイベントがある時は2人で一緒に行く。仕事関係でも2人でいかなければならない時もあって、そんな時は仲がいい夫婦を装った。
仮面夫婦だよね、私たち。
そう言って笑い合った。
BOSSに会いたいHは、吉祥寺の家にしょっちゅう遊びに来た。終電がなくなって泊まっていくこともあった。
しかし、恋愛をしていた頃の感情はすでになく、不思議な友人関係に変わっていた。
俺たち、戦友って感じがする。
Hが言った。
そうだね、一緒に戦ったね。
最初から夫婦じゃなくて、たまに会って話す友人だったら良かったのに。
それでもなお離婚届は出さず、夫婦のままで過ごしていた…。
そして1997年、晩秋。
BOSSの身体の免疫力が低下、とうとうFIVが発症したのだった…。
To be continued…