1995年6月3日。
私の誕生日に、猫5匹+人間2人、一気に大所帯になった大宮のマンション😅😅😅
みーちゃんの赤ちゃんが産まれたことだし、私たちはみーちゃんにちゃんと名前を付けることにした。
みーちゃん 改め みつ子
安易な感じがするかもしれないが、そうではない。
根拠はある😆
Hの名前から一部を取って「みつ子」なのだ。
そして、みつ子の赤ちゃんは、
みつあか
と命名。こっちはかなり安易だね😅
お察しの通り、みつ子の「あかちゃん」なので「みつあか」である。
安易な命名には理由がある。
子猫なので、誰かが貰ってくれるかもしれない、それまでの名前だ。
もらってくれた人がきちんと名前をつけたいだろうしね。
とにかく、
みつあかは可愛かった!
みつ子の母親ぶりも尋常ではなく、これぞ猫可愛がり!
みつあかの体重を測ろうと、みつ子から引き離すと、私の足元で大騒ぎである。
返せ、返せ、としつこく飛びついて、引っ掻いたり噛んだり。
診察のためにダクタリ大宮病院に2匹を連れて行った時も、T先生に飛びついたり噛んだり、大パニックだった。
とにかく、いつもお腹に抱え込んで、絶対に離さないという目で見るのだ。
家の中では、何度も何度も引越し。
四六時中、みつ子とみつあかの所在を探さなければならなかった。
さて、LANAの時に子育て参加をしたBOSSはというと、興味津々ではあったが、みつ子が抱えこんでいたので、あまり干渉できなかったようだ。そこはBOSSも大したもので、みつ子の気持ちをきちんと察していた。
お嬢DONは、案の定、無視😂
みつ子とみつあかには関わらないようにしていた。
みつ子も子育てで精一杯で、LANAをいじめることもせず、平穏な日々が続いていた。
そして夏。7月末。
予期せぬ事件が勃発する。
BOSS、2度目の失踪。
私とHにとって、あの悪夢がまた繰り返されるのかという焦燥感。
BOSSは1月の帰還から、すっかり元の元気な姿に戻った矢先だった。
一体、何が彼をそうさせるのか?
私たちにはとうてい理解できなかった。
前回は、40日で生きるか死ぬかの瀬戸際で見つけることができたが、そのダメージが身体に残っているとすれば、今度は40日も持たないかもしれない。
なのにBOSSは体力が回復したところで、セカンドチャンスに賭けるように、また家を出て行った。
私たちは、BOSSが家出をしたのは、みつ子とみつあかを家に入れたからだ、とか、私たちに不幸が降りかかるのを、身代わりになってくれたのかもしれない、とか、今思えばバカバカしい理由をくっつけて正当化しようとしていた。
前回で懲りたはずだから、今度はすぐに帰ってくるかもしれない。
そんな期待をしながら、私たちは夜もしっかり寝ることができなくなっていた。
追い討ちをかけるように、Hの仕事も阪神淡路大震災の影響で、神戸の仕事がなくなり、仕事自体も減っていった。心が荒んでいく私たち。
唯一の癒しは、みつあかの成長だけで、DONもLANAも心なしか沈んで見えた。
しかし。
BOSS失踪から、2週間、3週間…。
とうとう、1ヶ月が過ぎてしまった。
私たちは、BOSSの死を覚悟した。
2度目の失踪で、1ヶ月は無理だ。
それに前回の失踪で判明したことは、BOSSは他人からご飯をねだることができなかった、ということだ。
野良の経験がないBOSSにとって、他人からご飯をもらう術がわからなかったのだ。
LANAやみつ子のような知恵が働かないのだ。
それらを考えると、もう、諦めるしかない。
私とHは、BOSSのことを口にすることもなくなり、同時に夫婦の会話さえも無くしていった…。
そして、
BOSS失踪、40日経過…。
To be continued....