HILOKOというアーティスト
セコム広報室の監修を得て、子どもの防犯絵本制作に着手したのは、2005年夏だった。
すでに作家はHILOKOと決めていたので、彼女が描く絵をどのように組み立てるかをまとめるだけだった。
Give me fuel 子どもの防犯絵本①でも書いたように、HILOKOは大阪でポストカードを路上販売していた。
散文詩と、ちょっと不思議なキャラクターが登場する癒し系のイラストが人気で、4メートルものグリーンのシートを路上に広げて、そこにポストカードを並べて販売するのである。
溢れるコトバとイラストの絶妙なバランス。
HILOKOはすでにそれだけで生活が成り立ってしまうほどに、彼女の作品は売れていたのである。
東京で開催される「デザインフェスタ」に出展したり、大阪でのイベントにも数多く出展して、業界ではそれなりに顔が売れていた。
ポストカードのサイズは、150mm✖️100mm。
その小さな空間に一つのストーリーを完結させる。
この手法が、HILOKO作品の醍醐味だったので、それを活かした絵本の構想を練っていた。
セコム広報室は、監修チームを結成。
三鷹にあるセコムIS研究所からA氏とF氏の2名が参加。
研究員としてのプロの目で監修をしてくれることになった。
私たちは、監修チームと何度なく打ち合わせを重ねたが、どうもまとまらない。
HILOKOのポストカードのイメージが頭から離れないのである。
紆余曲折を経て、シンプルな絵本として制作することが決定する。
これは、HILOKOがこれまで慣れ親しんだ手法から離れて子ども向けに長編物語を書く作業。
HILOKOの挑戦の始まりだった。
一方、私はある種の限界を感じていた。
子どもを育てたことがない私に
子ども向け絵本制作ができるのか?
何か上っ面だけで企画をしているような、そんな後ろめたい気持ちだったことも確かだ。
セコム監修チームは、子育て中の人たちだったし、HILOKOは前職保育士であり、教育のプロだった。
私は、これまで好き勝手に生きてきて、子育ての悩みも苦しみも、そして感動も希望も楽しさも知らない。
そんな私が、子どものための防犯絵本を企画しても、読者に伝わるのだろうか?
私は今も、子どもを持つ機会を放棄してしまったことを悔やんでいる。
そして2005年当時も、そんなことで悶々としていた。
そうこうするうちに、とうとうHILOKOが物語を書き上げた!
それはどこか懐かしい、でも新しい、絵本のキャラクターを産み落としたのである!
To be continued …..