2002年、秋。
編集者として初めて企画出版した「見返りにっぽん」の取材のため訪れた大阪で、私は一人の女性と出会った。
路上で自作の絵はがきを販売する、HILOKOというアーティストだ。
私は「見返りにっぽん」で紹介する水墨画絵師のたけまん(川住文明氏)の取材で大阪に来ていたのだ。そして川住氏の友人がHILOKOだった。
彼女には、特定のファンが多くついていて、彼女の絵はがきはどんどん売れていく。
私は彼女が描くイラストと、彼女のパーソナリティに興味を持った。
優しい大阪弁とふんわりとした雰囲気、キャラクターの世界から抜け出たようなベイビーフェイスが魅力的な女性だった。
私は彼女に名刺を渡して、東京に来たらまた会いましょう、と話して別れた。
この出会いが、私の人生に大きな意味をもたらすことになろうとは、この時はまだ知る由もなかった。
そして、全てが「見返りにっぽん」から繋がっていることも、今だからこそ見えてくるのだ。
2005年 8月。
4月に出版した「わが家の防災」の大ヒットで、第2弾を企画制作、9月出版を控え、最終段階のチェックを行なっていた頃、同時進行でHILOKOとの絵本企画を進めていた。
HILOKOとは、大阪と東京で何度か会っているうちに、早い段階で絵本出版の打ち合わせをしていたのだ。
しかし、これまで彼女の作品は大人の女性をターゲットにしていた。
そのため、大人向けの絵本企画をまとめていたのだが、今ひとつピンとこない。
いくつもダミーを制作しては、企画会議でボツになる、を繰り返していた。
HILOKOはアーティストとして活動する前は、保育士だった。
私は、たびたび彼女から保育士時代の話を聞かされるうちに、幼い子どもたちの防犯対策を考えるようになっていた。
当時、児童が犯罪に巻き込まれる事件が頻発しており、ニュースを見るたびに心を痛めていたのである。
HILOKOは児童教育のプロである。
私は、防犯防災対策の書籍を2冊企画した。
知恵を出し合えば、二人で子どもの防犯対策のための絵本ができるのでは?
このアイデアは会議で承認され、絵本企画はようやくスタートしたのである。
HILOKOは、キャラクターの設定とストーリーの構築。
私は、この絵本を監修できる企業を探した。
防犯対策といえば、セキュリティのプロだ。
あらゆるセキュリティ会社に電話をかけて企画書を送った。
その中で、好意的に話を聞いてくれたのが、
原宿・東郷神社に隣接した高層ビルの会社、
セコム株式会社、だった。
業界ナンバーワンであるセコム株式会社が、月に1冊出版できるかどうかの弱小出版社の企画に興味を持ってくれたのだ。
本当に実現できるのか?
同社の広いロビーで、私は企画書を手に、
『何としてもこの企画を通して見せる』と、意気込んでいた…。
To be continued…….