私の若い頃のショートヘアが、Facebookで結構ウケてる😆
ロングヘアにして、もうずいぶんになるのでショートヘアの私を知らない人が多いかもね。
そう、私は17歳になろうとしていたあの頃、N以外誰も愛さない、それでバッサリ髪を切ったのだ。長い髪は、男に媚びる女の道具。私は誰にも媚びない。独りで生きる。そう決めて、ずっとショートを貫いた。
高校卒業してからは、校則の呪縛から解放され、さらにエスカレート。
金髪にしてから、カラフルに色を入れ、髪を立たせるパンクスタイル。
真っ黒な衣装に鎖を腰に巻いて、破れたTシャツを安全ピンで止める…って😱
今思い出してもめちゃくちゃ怖い! そばに寄りたくないタイプの人だった。
でもって、大学ではジャズやってた🤣🤣🤣
もう、はちゃめちゃよ。
精神分裂もいいとこよ。
あの、はちゃめちゃ加減は後遺症だよね。切なくなる😢
そして、U2を聴いて、辛うじて平常心を保っていたような気もする。
あの当時、毎日、毎日、聴いていたアルバム『Unfogettable Fire』
ブライアン・イーノのプロデュース。
カッコいいんだ、これが。
あ〜。このアルバムの話もコラムで書きたいね。
さて、1984年。
目黒に越して半年くらい。
私は、TSUNちゃんの弟にと、真っ白な子猫をもらってきた。
ホースボーンズオーケストラのOBのT先輩は麻布十番に住んでいて、そこから少し行った赤羽橋に焼鳥屋があった。T先輩の行きつけの焼鳥屋で、そこで子猫が3匹生まれたから1匹もらう?という話だった。
私は二つ返事でOKして、その3匹に会いに行った時のこと。
焼鳥屋の大将は、大の猫好き。
座敷席には「お猫さま」専用のお座布団がある(毛だらけなので一目瞭然!)
客も猫好きで、つまみの焼鳥を与えたりしている。
雄猫の「シロ」→ 結構いい年らしいが、今回の子猫たちの父親。文字通り、真っ白。
雌猫の「たぬき」→ 3匹の母猫。サビ柄でまぁるい顔がタヌキみたいで可愛い。
客たちは、シロ! とか、タヌキ〜 と呼んで、なでなでしたりして可愛がっている様子があったかくて高感度200%。
さらに、驚愕したのは、ここの大将だ。
生まれた子猫のうちの1匹、黒猫を懐に入れて料理している。
ビールをジョッキに注いで運んでる、仕事をしている!
「あ、この子はダメだから。3匹のうち一番弱いし。その2匹だったら元気だからどっちかもらって」
そう言って、黒猫を大事に抱き抱え、見せてくれない。
あとの2匹は茶トラ猫と真っ白な猫。
2匹は座敷席で縦横無尽に飛びまわって、元気いっぱいだ!
初代猫TSUNちゃんが、黒と白のタキシード柄なので、私は真っ黒な子が欲しいと思っていたのに…。
「ね、ちょっとだけ、黒い子見せて。2匹一緒にして3匹で遊ばせてみてもいい?」
大将は渋い顔しながら、
「いいけど…、ちょっとだけよ」
え?! 『だけよ』って…
いわゆる和服の作業着を着て、頭にはねじり鉢巻きしてる大将が、女言葉???
若干、度肝を抜かれたが、大将の優しい仕草や言葉遣いは、妙に心地いい。
優しさが満ち溢れている。
しかし、その優しさにつけ込み、焼鳥屋に猫を捨てていく人がいる。
大将はその猫たちみんなを面倒をみてるというのだ。
大将を心配してか、T先輩が私に声をかけた次第。
3匹を一緒に遊ばせてみると、黒猫は明らかに仲間はずれにされている。
一緒に遊びたくて仕方ないのに、2匹は黒猫を突き飛ばしたり噛んだりして、意地悪する。
そして、ぽつんと取り残される黒猫。
大将の言う通りだ。
私は、大将の優しさに感動を覚えた。
野良猫だったら、この子はきっと死んでる。
野生の世界は厳しい。
弱いものの遺伝子を残さないように間引きしているようだ。
「じゃ、こっちの茶トラにしようかな…」
元気いっぱいの茶トラ。顔も可愛いいし。
すると、T先輩が、
「茶トラは今はかわいいけど、大人になったら太々しくて、可愛くないんだよな〜」
ていうか、もらうのは私なんだからさ、私が選ぶよ。
そして、私は白い子猫をもらって家に帰るのである。
元気いっぱい。
飛んだり跳ねたり。
TSUNちゃん、びっくりするだろうな〜。
うちの一員となった、白い子猫。
この近所で、一番強い猫になるように! と願いを込めて
BOSS
と命名した。
BOSSはその名の通り、近所で一番強い猫に成長する。
体格もケンカも根性も、近所のボス猫として、君臨する日が来る。
そして、BOSSは子猫時代から、その片鱗を見せていたのである。
そう、
お兄ちゃん猫・TSUNちゃんイジメが、始まるのである…
To be continued…