2006年7月。
みつ子、倒れる。
前回のブログで、横須賀在住1年目は何も記憶に残っていない…と書いた。
大ウソである。
大型自動二輪免許を取得するための教習所日記を連載していた当時のブログを確認すると、2006年7月にみつ子が倒れた、という記事が残っていた。引っ越してすぐのことだ。
もちろん、みつ子が倒れたことは大事件だし、忘れたわけではない。
しかし忙しすぎて、それも含めて時系列が前後してしまったのだと思う。
みつ子が倒れた…。
それはあまりにも突然だった。
みつ子が、中野坂上時代に確立した特権。私とゲームをしていた時だった。
追いかけっことでも言うのか、私よりも先に走って、振り向いて止まる。
私がみつ子に追いつくとサッと走って前へ行く。
「ママ、早く早く!」
と言って走る小さな子どものようだった。
あの日も、みつ子はいつものようにゲームを始めたのだ。
夜、帰宅して玄関で靴を脱いでいると、みつ子が台所から走ってきた。
私が2階の部屋に行くのがわかっているので、階段で待ち構えているのだ。
私が階段を登ろうとしたところで、みつ子は私よりも先に階段を一歩、二歩と駆け上った。
そして、いつものように、
「ママ、早く早く!」
と、ニャッと言いながら振り向いた。
その時だ。
みつ子は振り向きざま、私に倒れ込んできたのである!
「みっちゃん!」
その瞬間、尋常ではない何かが起きたと察知した、私とみつ子。
みつ子は明らかにめまいを起こしていた。
私はみつ子を抱えてソファに寝かせた。
大変な事態になっていることを本人も理解したようで、じっと蹲っている。
しかし、横須賀に引越してまだ3ヶ月。
動物病院の場所もわからず、必死にネットで検索した。
すでに8時を回っていたが、24時間診療という「つだ動物病院」を見つけた。
私は、タクシーを飛ばして病院へ。
その夜は応急処置をしてもらい、家に帰ったのだが、何がなんだかさっぱりわからない。
何が起きているか。
翌日。
みつこは、発作を起こした。
それは、私がこれまで見たこともないような、激しい発作だった。
手足が伸び切ってしまい、体が硬直して、咳き込むように痙攣を起こしているのだ。
「みっちゃん! みっちゃん!」
私は無我夢中でみつ子の背中を摩り続けだ。
このまま死んでしまうのではないかというほどの痙攣と発作。
5分ほどで痙攣が治ったところで、私はすぐさま病院へ。
そして、入院。
高濃度の酸素室に入れられたみつ子は、少し落ち着いたようで、眠そうな顔で私の顔を見ていた。
院長先生は言った。
「脳に何らかの疾患があると思うのですが、今はとにかく酸素室で呼吸ができるようにします。今夜はもう大丈夫だと思いますし、診察室にはスタッフもいますので、安心してください」
私はみつ子を病院に残し、バス停までの暗い道をトボトボと歩いた。
そうだ、あの時。
パイプ椅子にジャンプして登った時もふらついていたじゃないか。
あれが前兆だったんだ!
それなのに私は自分の仕事ばかりで、ちっとも気づかなかった。
なんでもっと早く病院にいかなかったのか!
後悔の言葉ばかりが頭をめぐり、自分だけがそこに置き去りにされてしまったような感覚で、私は一人きり、バスが来るのを待ち続けていた…。
To be continued…..