みつあかの命日に。
2014年4月16日。
この日はみつ子の娘・みつあかの命日だった。
みつあかは、交通事故と思われる事故で頭を打撲、夜12時近くになって帰ってきたが、次の朝まで待って病院に連れていった。しかし、時すでに遅し。
みつあかは病院で眠るように、天に召された。
3歳11ヶ月だった。
夭折したみつあかの分も生きるかのように、みつ子は2013年に推定20歳を迎えた。
うちの猫の中で一番の長寿はお嬢DONで22歳まで生き、老衰で大往生を遂げた。わが家の猫で、20歳を超えたのはお嬢DONとみつ子だけだ。
しかし、DONは高齢になって「おばあちゃん」という風情だったが、みつ子は違った。
特にひとりっ子になってからは、まるで子猫のような幼い顔立ちになった。
高齢猫の雰囲気はまったく感じられず、毛並みも艶々として、若返っていく感もあった。
2006年、横須賀に転居してすぐに「特発性てんかん」で倒れてからは、投薬治療を続けた。大きな発作にたびたび見舞わられながらも、持ち堪えては元気になった。
私がこれから書こうとしていることは、今まで封印していたことである。
ある特定の人に経緯を話したことがあっても、詳細までは話していない。
なぜなら、それは余りに辛く、言葉にすることができなかったから。
言葉にすれば、あの日の出来事が蘇り、私の声が脳裏で反芻し、いつまでも追いかけてくる。まるで悪霊に取り憑かれたように、七転八倒しなければならない。
だから、私だけの心にしまって封印しよう。
そう思ったのだ。
あれから9年。
私はブログで一部始終を残しておこうと思い立った。
誰かの目に触れれば、もしかしたら誰かの役に立つかもしれない。
共有できる何かがあるかもしれない。
そう思ったのだ。
今も言葉にしようとすると、涙が溢れて止まらなくなる。
この苦しみを、解放すべきだろうか?
みつ子も、そう思っているだろうか?
2014年4月16日。
喘息のような症状で体調が悪いみつ子を病院に連れていったのは、午前中のこと。
もっと早く病院に連れて行けばよかったと、今になって後悔しているが、あの時は点滴をしてもらえれば、すぐに良くなると思っていた。
いつものように、赤い布製のキャリーにみつ子を入れて、おんぶ紐で背中にしっかりとくくりつける。
これは、みつ子を病院に連れて行く時のスタイルだ。
Fusionの後ろに直接固定すると、みつ子は激しく暴れる。
運転する私のバランスが崩れて、転倒したらおおごとだ。
それで、おんぶ紐で固定して背負うことにした。
キャリー越しではあるが、私の背中に密着していると、みつ子は安心したかのように静かになるのだ。赤信号で停まるたびに、私はみつ子に話しかけ、お尻をトントンと叩いた。
つだ動物病院の駐車場にFusionを停めて、みつ子をおぶったまま病院に入る。
この日、院長は不在で、院長の奥さんが診察するという。
初めてのことで、私もみつ子も不安な感情に襲われた。
てんかん発作が出た当時、この病院は開業したばかりで看護婦と院長しかいなかった。
そのうち新しい先生がどんどん増えて、若い女医がみつ子の担当医になった。みつ子のことも可愛がってくれていたので、私は、それなりに信頼していた。
しかし、院長の奥さんが医者だったとは、この日、初めて知った。
みつ子をキャリーから出して診察台に乗せると、私のお腹に頭をぎゅーっと押し付けて、まるでいやいやをする子どものように、ぐいぐいと頭を押し付けてくるのだ。
嫌がるみつ子を引き離そうとすると、今度は両手で私の腰にしがみついてくる。
それも渾身の力をこめてしがみつくので、不憫で仕方なかった。
しかし、診察するためには仕方がない。
引き離して、検温、触診、血液採取をして、院長の奥さんは点滴の準備をした。
院長の奥さんの診断はこうだった。
「確かに脱水はしているので、点滴をすれば落ち着くとは思います。血液検査の結果も年齢の割には悪くはないし。ただ、肺の状態がどうなってるのかわからないので、レントゲンを撮らないとなんとも言えないのですが、みつ子ちゃんはてんかんの発作があるので、この症状が落ち着いてからやりましょう。今日は様子を見て、明日になってまだ改善しないようであれば、もう一度来てください」
それで私は、診察代を待ってもらえるように、奥さんに話をした。
以前も待ってもらったことがあるのですが、今回もお願いします、と頭を下げると、奥さんは、何とも言えない困った顔をしたのである。
「ちょっと待っててくださいね、院長に電話して聞いてみますから」
と言って、奥に入っていった。
「院長に許可をいただきましたが、今回だけということでお願いできますか?」
「はい、もちろんです。大丈夫です」
私はそう言って、何度も何度も頭を下げた。
応急処置の点滴をしてもらったので、これで少しは改善するだろうと安堵して病院を出た。
家に帰って、みつ子をいつものクッションに寝かせて様子を見た。
しかし、ぐったりして、あまり様子は変わらなかったのだ。
夜になっても、みつ子の容態は改善せず、さらに悪化しているように見えた。
翌朝、4月17日。
「みっちゃん、今日もちょっとだけ病院に行こうね!嫌だけどがまんだよ」
私は、嫌がるみつ子を赤いキャリーに入れて、おんぶ紐で背負った。
Fusionを走らせ、つだ動物病院へ急ぐ私。
病院について、いつものようにキャリーをおぶったまま病院に入る。
この日は、すでに待っている人たちが何人かいた。
私の名前が呼ばれ、みつ子を連れて診察室に入った。
そこに立っていたのは、いつもの女医でも、院長の奥さんでもなかった。
To be continued….