猫と仕事と横須賀と。
2006年4月。
6年間勤務した出版社を辞めて、絵本作家のHILOKOと会社を設立。
私は、船橋から横須賀に引越して、文字通り新しい生活を始めた。
なぜ、横須賀なのか?
当時はいろんな人に訊かれた。
唐突な感じだったんだろうね〜。
理由は至ってシンプルだ。
母の兄、つまり私の叔父が横浜に住んでいたからである。
最初は叔父の家の近く、横浜で探していたのだが、家賃が高くて決めかねていた。
京急沿線でいいところはないかと、探しているうちに横須賀にたどり着いたのである。
横浜にも近いし、意外に家賃が安かったのだが、坂道と階段が多い街で、オートバイを置く場所がないのがネックだった。
散々探して、ようやく見つけたのが、あの山口百恵さんが幼少の頃住んでいたという団地のそばの小高い丘の一軒家。
有名な曲「横須賀ストーリー」にも出てくる風景が広がる静かな住宅街で、即決したのだった。
今考えれば、足腰が弱っていた母にとってはキツイ家だったね。
しかし家を決めてから、横浜の叔父は交通事故で亡くなってしまったのだ。
「マカマカロシアへ行く」の最終色校正をしていた頃だった。
あの時期、本当にいろんなことが重なったが、よく乗り切った。
大型自動二輪免許の取得も架橋に入っていたし、マカマカ絵本、サンスター文具の新商品発表会、「白いおばけのスー」の版権問題や、会社設立のための準備、そして引越しの準備。
これでもかと次から次へと押し寄せる問題をこなしていたんだな。
すごいエネルギーだった🤣🤣🤣
ところが、横須賀に引越したはいいが、あまりの忙しさでiMacの前に座ったまま1日が過ぎ、横須賀がどんな街なのか探検すらできなかったのである。
有名な三笠公園や、米軍基地、観光客が多いドブ板通りとか、海軍カレーとか…。
観光らしきことをしたのは、ずいぶん後になってからだ。
2006年3月に大型自動二輪免許を取得したにもかかわらずHarley Davidsonを購入する時間も余裕もなかった。
ようやく手に入れたのは、2007年6月。
'88 XLH 883スポーツスター
Harleyを買ってからは横須賀から久里浜あたりまで走ったり、横浜、仕事の打ち合わせで東京へも乗っていくようになった。
そんなことだから、引越した当初の横須賀の記憶は、2階の私の部屋でゴロゴロするみつ子のこと。
高齢猫になったお嬢DONは1階の母の部屋でのんびり過ごす。
そんな毎日だったな〜。
横須賀が観光地だってことも、後になってから知ったくらいで🤣
ヴェルニー公演
素敵な公園はたくさんあるけど、海軍カレーだけは、おススメしません(笑)
横須賀在住1年目。
何も記憶に残っていない1年だった…
To be continued…….