2003年12月。
「カトウくんのおまけ」出版後は、書店営業や次の企画立案で外出続きだった。月に1冊出版するのが精一杯の弱小出版社。当初の出版部3人に加えて新しく1人追加、4人体制で出版部を回していた。
事務所は神保町から本社秋葉原に移転。なかなか落ち着かない日々が続いていた。
ある日、書店営業で訪問した横浜有隣堂書店本店の担当者が「カトウくんのおまけ」に興味を持ってくれて、地下のギャラリーで展示会を開催したらどうか、と提案した。
実際、これまでも加藤裕三の作品展はさまざまな美術館、ギャラリーで開催されているし、有隣堂としては書籍の販売促進、宣伝にもなる。
私は、作品展の企画を練った。
結婚当時、元主人のHとともにイベント企画会社を運営していた経験を生かし、有隣堂本店での作品展を実現させたいと漠然と考えた。
しかし…。
ギャラリーは、かなり広い。
グリコのおまけは、小さい。
この大きなギャラリーに、どうやって展示すれば魅力的な空間を演出できるか?
加藤裕三のからくりのおもちゃ作品を並べるのも一案だ。
しかし、ものは有馬の玩具博物館。
横浜まで運搬するのにどのくらい費用がかかるのか?
問題が山積みだ。
ハードルが高すぎる。
私にできるのか?
そんな時だった。
東京造形大学の春日明夫教授のゼミの作品展があるというので、吉祥寺のギャラリーに足を運んだ。
春日明夫教授は、加藤裕三、西田明夫氏とも親交があった教授である。
私はそこで学生たちの作品を見ながら、そうか!と思った。
実際はどんなタイミングで話が進んだのか記憶が曖昧だが、加藤裕三の作品と造形大の学生たちが結びついた瞬間だった!
そう。
加藤裕三のおまけ作品を、
巨大レプリカとして制作する!
加藤裕三のおまけレプリカを
ギャラリーに展示するのだ!
とんでもない構想だったかもしれない。
しかし、春日教授も学生たちも快諾してくれたのである!
これは、学生たちにとって初めての商業作品の制作である。
経費は出版社持ちだが、いかに安価に作品を仕上げるかも重要な課題だ。
湯水のごとく材料費を使うことは許されない。
決められた枠組みで、依頼されたものをどうやって制作するか?
春日教授は、この企画を授業の一環として協力してくれたのである。
2004年、冬。
レプリカ制作開始。
私は週1ペースで東京造形大学に通うことになる。
造形大の学生たちと過ごす日々は、まるで学生に戻った気分。
学生たちの発想や、創造力に感動し、作業をする手仕事を見て感動し。
こうして、加藤裕三の作品展に向けての準備は着々と進んでいったのである…。
To be continued....