神保町オフィス
出版部のオフィスは、南青山のワンルームマンションでスタートしたが、その年の秋には神保町へ移転した。
「見返りにっぽん」の制作途中での移転だったが、神保町の広い事務所は撮影スタジオにもなり、使い勝手のいいオフィスだった。
ZEROエンジニアリングやCHOICEなど屋外での撮影以外は、ほとんど神保町オフィスで撮影したのだ。苔玉や妖怪根付など、小物撮影の背景の材料は手分けして手作りした。
カメラマン野口氏を中心にデザイン部の面々とともに撮影したんだよね🙌
みんな熱かったな🔥
そして、原稿執筆、誌面レイアウト、装丁、印刷、校正、ニュースリリース、書店営業、一冊の本が出来上がるまですべてに関わったのである。
「見返りにっぽん」制作が終盤に近づいた頃、私は次の企画を練っていた。業界紙の記者時代に取材した、ある芸術家の本を制作したいと思い描いていたのである。それは不思議なきっかけで思いついたのだ。
その芸術家は、ZEROエンジニアリングの木村信也氏に酷似していたからである。
私は、その芸術家に連絡を取ろうと試みた。しかし1995年の阪神淡路大震災以降、音信不通になっていた。当時は芦屋に事務所があったのだが。
それなりに有名な作家だからネットで探せば見つかるはず、そして彼の作品のホームページを見つけた。
問い合わせ先にメールをしてみると…。
返信のメールの内容は、信じがたい文字が並んでいたのである。
『加藤裕三は、昨年5月に永眠しました。書籍企画のお話は残念ながらお受け出来ないかと存じます………」
加藤さんが、亡くなった?
そんな…そんなことって…。
私は、iMacの画面の中の文字を眺めたまま、力が抜けていくのを感じていた…。
Faraway, so close (完)