2018年2月。
6ヶ月間、失業手当で生活したのち、ようやく派遣先が決まった。
品川の大手リース会社でのオペレーターの仕事。
実際、これまで携わってきた仕事とは180度違う仕事で、私にできるのかな?と不安ではあったが、なんとかこなすことができるようになった。
しかし通勤に1時間以上、京急一本で行ける場所とは言え、徐々にストレスが溜まったのは言うまでもない。
2018年11月。
事実上、動かしていなかった私の会社を閉鎖する手続きをして、事務所兼自宅として使用していた家から引っ越しをした。
場所的には、浦賀方面に移動しただけだったので、引っ越しはハーレー屋のS君に手伝ってもらって、細かい荷物はFusionで運ぶだけで完了。
しかし、引っ越しの疲れで母の体調が悪化、無駄な通勤時間を省いて介護ができるようにと、横須賀市内で仕事を探し始めた。
2019年3月。
自宅からFusionで20分の距離。理想的な職場が見つかって転職。
現在もここに勤務している。
2020年1月。
新しい職場にようやく慣れてきた頃、新型コロナウィルスが世界中を混乱させる。
私の職場は研究所なので、仕事に大きな支障をきたすことはなかったが、研究員が在宅勤務になったことで、事務職の私も在宅勤務を余儀なくされた。
とにかく、すべてが初めての出来事で、毎日のニュースを見ながら、どうなるのだろうと不安な毎日だった。
2020年3月。
父が他界。
私は父とは疎遠になっていたこともあり、20年以上実家には帰っていなかった。
姉が介護していたので、任せっきりだったのである。私は母の介護もあるし、遠い実家の父の面倒まで頭の中にはなかったからだ。
しかし、この状況では帰らざるを得ず、その後の対応はほとんど私が行った。
というのは、姉が体調を崩してしまったからである。
これまで介護していた父が亡くなったことで、急激に衰えてしまったのだ。
この時から、私は姉の介護のために、定期的に実家に帰ることになるのだった。
2020年4月。
1ヶ月近く実家での後処理をしたのち、私はようやく横須賀に帰ってきた。
コロナ禍の影響で在宅勤務が続いていたことは、私にとっては都合のいいことだったかもしれない。
ここに引っ越してきた当時から、周辺をテリトリーにしていた地域猫ちゃんと、急接近できたからである。
この子は、うちの隣のおばさんの家で毎日ごはんをもらっていたのだが、時々、ベランダから部屋を覗くようになった。元々、甘え上手でいろんな家からご飯をもらっているらしく、ぷくぷくと太っていた。片耳の先が切れていたので、手術済み。
在宅勤務で毎日家にいる私は、洗濯をしたり掃除をしたりしながら、時々会社の仕事をする毎日。そうこうするうちに、この猫はベランダから部屋に入ってきたのである!
それからというもの、窓際にご飯のお皿を置いて、部屋の中で食べさせるようにした。
みつ子が他界して以来、私は6年ぶりに「生きている猫」に触ったのだった…。
To be continued….