サヨナラ、HONDA FUSION、追記。
昨日(2023.8.3)私の愛車・HONDA FUSIONのエンジンが壊れ、再起不能になった。
一緒に走った22年間、耐え難い喪失感。放心状態。
しかし、長年FUSIONの修理を担当してくれたハーレー専門のオートバイ屋のS君に、代わりの中古FUSIONを探してもらっている。
オリジナルカラーのカバーを中古FUSIONに装着して復刻する計画だ。まだ、中古FUSIONは見つかってはいないがエンジンなどの状態が良いものを探してもらっている。
近いうちに再会できることを祈って、今日は22年間のFUSIONの記憶をまとめた。
2001年6月頃、夜。吉祥寺にて
購入して間もない頃、自宅を出てすぐ、右側から出てきた車と接触、転倒。
自爆に近い事故だったが、車を運転していた男性が成蹊大学の学生で、真摯に対応してくれた。この時の保険で、水色のグラデーションカラーに塗り替えたのである。
2001年の冬、代官山にて
代官山で「見返りにっぽん」の取材後、前輪にかけていたチェーンロック「ゴジラ」を外すのを忘れて発進!
ガッツリ前輪にからまってしまって、にっちもさっちもいかなくなる。
止めたところはゆるい下り坂、後方に戻そうにも、FUSIONの重さとからまったチェーンでびくともせず。途方に暮れて佇んでいたら、バイク便屋の男性が停まってくれた。さすが男の力! 絡んだチェーンを外してくれた😭😭😭
涙が出るほど、感謝した。やっぱり女はダメだな、と思った次第。
2002年、市川のHONDAのお店にて
代官山で助けてくれたバイク便屋の男性は、モトクロスのレーサーで、市川にあるHONDAのお店を紹介してくれた。
ここで、アメリカ製スーパートラップを装着してもらう。
さらに、今も気に入って使ってるスパイダーマンの赤いヘルメットを購入。
店長さんがすっごく良い人で、いつもいつもお世話になっていた。
2003年1月、夜。錦糸町駅前にて
寒くて凍えそうな夜だった。渋滞してのろのろと14号を走っていて、赤信号で止まったら、
いきなり後ろから追突!
私は転倒、隣の車に接触。この事故は、運転していた女性の脇見運転だった。
私が転倒した時に接触した男性の運転手がすべてを取り仕切ってくれた。
というのは、事故の張本人はパニックで泣き出し、放心状態になっていたからだ。しかも、あの寒さの中で警官は一向にこない。この日、打撲+風邪、さらには膀胱炎になるという踏んだり蹴ったり、泣きっ面にハチ状態。最悪の事故だった。
錦糸町での事故以来、事故とは無縁になっていたのだが、突如、2週間で2度も事故にあう。
2014年8月、衣笠駅近辺にて
渋滞する1車線の道路。延々と渋滞しているので、バイクはほとんどがすり抜けで走る。
私は極力すり抜けを避けるのだが、この日は仕方なくすり抜けをしていた。暑いしバッテリーの温度が上がってきていたからだ。
対向車が右折しようとしてウィンカーを出していた。私はその車に気をつけながらゆっくりとすり抜けをしていたら、隣の車が対向車に「どうぞ」と合図をしてしまった。
危ない!と思った瞬間、急ブレーキでぶつからなかったのだが、なんと!
この女ドライバー、一旦止まったのに、パニクってアクセルとブレーキを間違えて踏み込み、激しく私のFUSIONにぶつかったのだ!
私は転倒、FUSIONの前方は大破!
まったく、こういう女ドライバーって、車運転するのをやめてほしい!
その2週間後、2014年8月。自宅近辺の道路にて
大破した前方のカバーは、そのままにして走り続けていたのだが、再び、赤信号で止まっていた時に追突だ!
こうして、前方、後方、両方のカバーが大破! 泣くに泣けない状態になる。
しかし、どちらの事故も相手側100%の事故なので、全額支払ってもらい、完璧に新品にしたのである!
そして、私はこんなありさま。
むちうちで、通院、さらにはめまい。
たいした事故ではないのに、追突って本当に怖いね。
このあと、まったく首が回らず、寝ることもできなくなって大変だった。
でも、事故や故障を潜り抜け、22年間走ったんだ!
本当に本当にご苦労さま!
たくさんの思い出をありがとう✨✨✨✨✨