今、実家に帰ってきている。年末は会社の仕事が若干忙しいので、今のうちにと帰ってきた。昨日のブログにも書いたが、新幹線が大幅に遅れ、計画していたことが実行できず、今日に延期。
このブログは、Edge of sixteen で書いた通り、ずっと疑問だった愛について、時系列に辿って検証する、そういう超個人的な記録である。しかし私と同世代の60年代生まれの人たちには懐かしい話もあるだろうと、共感してもらえると嬉しい。
さて、これまで封印していた、Nとの思い出の地を歩いてみる試み…。
私は40年、あの高校には足を向けていない。
40年ぶりに行ってみるか。
中心街の駅から、1時間に2本の単線電車。
田んぼの中を走る3両編成の電車。
向かう先のG岳に薄っすら雪が被っている。
こんな風景だったか…と記憶を辿るが断片的だ。
駅に着く。
当時、駅の入り口は1ヶ所だったはず。今や地下通路ができ、入り口2ヶ所になっている。
適当に北口に出てみると、見覚えのある風景が広がった。
あ、ここ。
お好み焼き屋さんだ。
帰りにお好み焼きを食べたっけ。マヨネーズかけてさ、
安倍川餅焼いてもらったり。
懐かしい。
でも、建物は風化し、看板も取り去られ、ガラス戸と入り口の引戸にはブルーシートとガムテープで封鎖してある。
もうとっくの昔に閉店したことがわかる寂れた風景。
私は時の流れに押しつぶされそうになる。
学校に向かって歩いてみたが、あの当時の風景はもうない。
途中に駄菓子屋があったのに、そこはセブンイレブンに代わっていて、殺風景で無機質。
住宅街をうねうね歩くと、パーッと視界が広がって田んぼが見える。
その先に稜線を背景に校舎が聳え立っていた。
43年前。
私たちのささやかな、たった一つの幸せを、残酷に奪ったあの学校は、
今も存在している。
私はしばらく、その姿を眺め、正門を背にして歩き出した。
Nと一緒に彼の家まで帰った道。どこをどうやって歩いたのか。
私は、ただ闇雲に歩き、やがて諦めた。
きっとこの辺り。
手を繋いで歩いた17歳と16歳の私たちが存在した事実は風化しない。
そう思った。
………………………….
当時、私は他の女子高生たちと同様にスイーツが大好きで、しかし思春期に必ず通る道、痩せたい願望、食べたい&痩せたいで葛藤していた。
しかもNは痩せ型だったから、彼より太ったら大問題だ!
しかし2人で喫茶店に行けば、必ず私は小倉パフェを注文してNはコーヒーだけ。
私がパクパク食べる姿を楽しんでいたのかもしれない。
ある日、そんなNの態度にムッとして、
「私ばっかり食べて、太っちゃうじゃない!」
「太ってもいいよ。俺、ぽっちゃりしてるの好きだから(笑)」
「私、ぽっちゃり嫌い」
するとNはウェイトレスを呼んだ。
ウエイトレスが「はい」と言って持ってきたのは、パフェ用の長いスプーン。
「半分こして食べよう。俺も半分太るからさ(笑)な?これでいいだろ?」
私たちはこうして、小倉パフェを2つのスプーンで食べるようになった。
あの頃の小倉パフェ、あんことアイスクリームが絶妙に絡み合って絶品だったな。
私は43年ぶりに、Nがバイトしてた喫茶店に来た。
あれからずっと同じ看板で同じところにあった。
あの頃オープンしたばかりの画期的な喫茶店で、店内に池があり錦鯉が泳いでる、ちょっと不思議な喫茶店。入り口近くにはガラス張りの個室があった。
Nはいつもそこに私を案内してくれて、他の客とは別格、特別扱いされてるようで嬉しかった。
今は、内装はガラリと変わってしまい、あの個室もなくなっていた。
そうか…。
私は小倉パフェを注文したあと、店内をまじまじと見回した。
記憶は、あのガラス張りの個室と、Nが制服でシルバートレーを持って颯爽と店内を歩き回る姿しか思い出せなかった。
私はホントにNだけしか見ていなかったんだね。
切ない😥
ウエイトレスが小倉パフェを持ってきた。
「昔、ここにガラス張りの個室があったよね?」
「さぁ、どうでしたか…。私がここにきた頃にはもうなかったですよ」
小倉パフェ、
今日は一人で食べるよ。
スプーンも一つ…。