1983年、私は1浪して大学入学。しかし、投げやりでいい加減な人生は続いていた。
S君のKATANAで爆走しても、市民運動やイベントに参加しても、ライブやバンドの追っかけをやっても。
いつに間にか16歳の私が追いついて、先に進もうとする私の前に立ちはだかる…。
しかし、小さな希望が見えたのは、大学のキャンパスで聴こえてきたサックスの音、ジャズの音色。
夕方、いつも聴こえてくるサックスの音に惹かれて、私は無意識にその音源に辿り着く。
古びた学生会館の3階、『ホースボーンズジャズオーケストラ』と看板が出ている。
トントン
ドアをノックすると、おもむろにタバコを吸いながら、ヌーっとした人が出てきた。
「あの、ココ、ジャズやってるんですか?」
「1年生?」
「はい」
「もしかして入部希望者?」
「あ、でも、楽器はそんなにできません。強いて言えば、ピアノとクラリネット…」
「クラリネットやってたの?」
そうなのだ。
私は小学4年生の時、音楽教師に見込まれ、アンサンブルに無理矢理😭入れられた経験がある。
本当はパーカッション希望だったのに、クラリネット担当になった。そして、小6までここでクラリネットを吹いた。実は、全国大会に出たこともあるほど、優秀なアンサンブルだった。熱心な音楽教師だったな。
「クラリネットやってたんだったら、アルト吹けるんじゃないか?」
彼は、アルトサックスを持ってきた。
「ちょっと音出してみて」
私は、もう何年も吹いてないのにできるかな?と思いながら、吹いてみたら…
「スッゲー、いい音出すね。
初めてで音出せる人いないよ。イイねぇ」
そう言われてみれば、なかなかいい音出た気がする。
「でも、楽器持ってないんですよ」
「大丈夫、大丈夫、これ、学校の貸してあげるから」
そう言って渡されたのは、YAMAHAのアルトサックスだった。嫌々ながらもクラリネットをやってた甲斐があったというもんだ😊こんなところで役にたつとはねー。
こうして私は、ROCKバンドをやってた頃のように、音楽という共通の仲間を得て、歩き始めた。
とにかく毎日部室に入り浸り、サックスの練習。
テナーサックスのO先輩はプロ並みで、彼からサックスの全てを叩き込まれた。
ブルーノート、ブルースコード、譜面の読み方…、学校の勉強よりよっぽど楽しかった。
ジャズに傾倒してから、私が真っ先にファンになったのはマイルス•デイビス。
特に好きだった曲は、『マイルストーンズ』
この曲は、毎年増上寺で開催してた定期演奏会でプレイしたんだけど、全然マスターできなかった曲。だけどめちゃくちゃカッコイイ。
この曲、テンポが複雑で、私があまりについていけないから、トロンボーンのK部長に特訓を受けた。
今思い出しても笑える特訓。
*文字にしても、
皆目わからん特訓法なので説明は割愛します🤣🤣🤣🤣🤣
…
好きなミュージシャンは他にもいっぱいいた。
サックス奏者では、ジャッキー•マクリーン、ソニー•ロリンズ、ベーシストは、ロン•カーター、チャーリーミンガス…、ピアニストではオスカー•ピーターソン。
とにかく部室に集まる先輩たちとジャズ論議だ。
夜は焼鳥屋の鳥安で酎ハイ飲んで大騒ぎ。最後は六本木まで行って飲み納め。で、麻布十番に住んでた先輩んちに泊まる。
とにかく、
毎日ジャズ🎷🎷🎷🎷🎷
こうなると五反田の学生会館から高円寺に帰ることが困難になってきた。
いつも始発で朝帰りだから。
こりゃマズイってことで、高円寺から学校の近くに引っ越すことにした。
そして、
目黒の新築ワンルームマンションの1階で、私とTSUNちゃんの新生活がスタートするのである✨
あ、TSUNちゃんは、ちょっと大きくなりました😺
あ、今日って高円寺と何も関係ない話だった😂
高円寺➡️➡️➡️目黒
To be continued…..