2022年4月11日、夜10時。
救急車で搬送された母の緊急手術がようやく終わった。
なんとか危険な状態からは脱した。
今後の治療方針について担当医師から説明を受けた。
看護師から入院に必要なものを聞き、私はようやく家路についた。
病院まで救急車に乗ってきたので、駅まで歩き電車で帰った。
家に着いて、ドアを開けようと鍵を探す。
いつもなら門灯がついているからすぐに鍵を見つけることができるのに、真っ暗で何も見えない。
まったく。
鍵。
どこよ。
バッグの中をゴソゴソと手探りで鍵を見つけてドアを開けると、玄関も真っ暗である。
私は部屋中のすべての電気をつけて、はぁ…とため息をついた。
し〜んとした家は、いつもとまるで様子が違うのである。
いつもならドアを開けると、母の部屋から聞こえる威勢のいい韓国語が飛び交うテレビドラマの音。
韓国ドラマが、そんなに面白いのか?
テレビの音の大きさに辟易していた私だが、プツンと音が消えてしまった母の部屋。
寒々しい気持ちで、絶望感でいっぱいになった。
一息ついて、実家の姉に電話をかけ、とりあえず危機を脱したことを伝えた。
自分の声が家中に響いている感覚は、あまりにも寂しく、虚しかった。
毎日、何かというと母に文句を言ったり、ささいなことで言い争いをしてきた。
仕事でむかつくと、ちょっと聞いてよ! まったく頭にくるのよねと、捲し立てた。
母は、ふ〜ん、あ、そう。と相槌をうつ。
そんなどうでもいいようなことの毎日だと思っていたのに、その日常がいきなりプツンと消えてしまった。
この家。
こんなに広かったっけ?
私は、ひとりでここに居ることの違和感を感じたのだ。
母と同居するようになって、20年以上。
当たり前のことだったのに、それはもう、当たり前ではなくなるかもしれない。
そんな覚悟をした夜だったのである。
コロナ禍の影響で、入院中の母に面会をすることはできず、母との連絡は携帯電話のみ。
母も私も長期入院が初めてのことだったので、何から何まで、腹の立つことばかりだった。
一般病棟に移動してからは、他の患者に遠慮しなければならず、ストレスが溜まった。
早く退院したいと毎日のように訴える母に、通い猫・キリちゃんの写真を送った。
キリちゃんは、これまで母の部屋にめったに入ることはなかったのに、母が入院していなくなったとたんに、部屋でゴロゴロするようになったのだ。
挙げ句の果てに、母の座椅子まで占領して、寝そべる始末😆
そんな写真を送っては、母のストレスが少しでも軽減されることを祈った。
2022年5月12日、母、退院。
4月末に2度目の手術をしたのち、経過もよく、退院が決まった。
しばらくは、食事に気をつけなければならなかったので、ずいぶん工夫をして料理をした。
どんな料理でも、病院食から解放された母にとっては何でも美味しいと言ってくれた。
丸々1ヶ月間の入院。二度の手術。
入院前よりも、元気になって戻ってきた母。
いつもの日常に戻れたことを、私は神に感謝した。
しかし…。
一難去って、また一難…。
畳み掛けるように届いた連絡に、私はため息しか出なかった…。
To be continued….