I LOVE MY LIFE −猫とROCKと愛の日々−

2022年11月から1年に渡って還暦ブログをほぼ毎日更新、2023年11月からは海外ドラマ「Kommissar REX」そして、REXドラマの🇨🇦版/🇮🇹版のレビュー記事。それ以前は海外ドラマ「Kommissar Rex」全編のレビュー記事です。

The Prayer ② Confession 告白

 

2014年7月。


私の派遣先は、浜松町から蒲田のデザイン事務所に移っていた。
昼休みになると、私は一心不乱に新約聖書を読みふけった。

 

聖書の存在は知っていたものの読む機会も、読もうと思ったこともなかった。
イエス・キリストは知っていても映画の中だけ。
十字架にかけられた理由も知らず、でも復活したことは知っている。
なのに、なぜ復活したのか不思議に思わなかったのか?
だって、聖書は神話の世界だと思っていたからだ。

 

新約聖書は一気に読み進めたものの、理解できたのはおよそ半分くらい。
同時進行で読んでいた創世記の方が、断然面白いと思った。
なぜなら、太古の昔の話なのに、今と全く変わらない愛憎劇が展開するからだ。

 

人間は、何千年も昔から同じことを繰り返している!


ベストセラー小説を読むより、よっぽど面白いと思った。
その理由は、実在する人物が次々と登場するから。

 

ダビデ王、ソロモン王、モーセや、その後継者ヨシュア、エジプト王ファラオ。
モーセ十戒、エジプト脱出「エクソダス」のストーリー。
感動して号泣したヨセフ物語。


馴染み深い映画や音楽、美術、彫刻、それらの元ネタがぎゅ〜っと詰まってる。


ところがだ。
新約聖書になると、どうもわからないことだらけになってくる。
突拍子もない感じになって、ヨハネの黙示録になると、もう頭がクラクラしてくるのである。

 

これは、どうしたものか…。

 

日本語の聖書は意味がよくわらかないところがあって、英語の聖書と付き合わせて読んだ

 

やはり教会に行って、牧師や神父と呼ばれる人に話を訊かないとわからないかも。

 

 

私は、自宅からFusionで走って20分ほどのセブンスデー・アドベンチスト横須賀教会をネットで見つけて、行ってみることにした。
迎えてくれたのは、藤森剛 牧師夫人と数人の信者の方々。
牧師夫人と信者の方々は、最初に私のためにお祈りをしてくれたのである。

 

私のために祈る、とは、どういうことなのか?

 

わけもわからず、牧師夫人の祈りの言葉を聴いているうちに、私はボロボロと涙を流していたのである。この感覚は、言葉ではとても説明できない。
そして、経験をした人でないとわからないと思う。

 

私は、神に頼ろうと思った、事の次第を語った。

怒りと悲しみがどーっと溢れ出て、号泣しながら私は語った。


これが、私の罪の告白、Confession である。

新約聖書のマタイの福音書の最初の方に出てくる、罪の話。
怒り、姦淫、偽りの誓い、復讐、心配と不安、人を裁くことなど、すべてが罪だと書かれているのだ。

神の前で罪の告白を洗いざらいすることで、スッキリと心が軽くなったのである。
じっと一人で心を閉ざしてきた私の告白が、軽くしてくれたのだ。

 

よく聞く話。

神に頼るなんて、弱いからだ。
弱みにつけ込まれてるんだよ。
神さまなんて、いるわけないじゃない。
いたら、どうしてこんな世の中なのよ。
人間は猿から進化して人間になったのよ。
神が6日間で地球上の生物すべてを作ったなんて、神話だよ。
進化論で証明されているじゃない。
科学的じゃないよね。

 

私は、神に委ねることで、実際に心が軽くなったのだ。

人になんと言われようと、そんなこと、どうでもいいと思った。

 

マタイによる福音書 11:28   イエス・キリストの言葉。


疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。

 

この言葉がどれほど私の心を軽くしたか!

私はこの教会に通い始め、聖書に書かれていることが神話ではないと確信し始めた。

こうして、3週連続でセブンスデー・アドベンチスト横須賀教会の礼拝に参加した3回目の帰り道のこと。

 

渋滞している一車線道路をすり抜けをしていたところに、右折車が曲がってきて、すんでのところで急ブレーキをかけたにもかかわらず、軽自動車の女性運転手はアクセルとブレーキを踏み間違え、思いっきり私のFusionにぶつかったのだった…..

 


To be continued….