1992年12月26日。
東京・恵比寿のライブハウスGuilty。
『Crime of Live』のリハーサルを終わらせ、私は衣装を着替えた。
午前中には、ライブハウス近くの美容院で髪はセットしたので、あとは化粧直しだけ。他のバンドメンバーたちも各々打ち合わせをしたりして、さほど緊張した様子もない。
私も彼もリラックスして、ロビーでタバコなんか吸ったりしてバカ話でゲラゲラ笑ってる。
いいのか、こんなことで?
ふとそんな言葉が頭をよぎったが、それよりもパフォーマンスに集中していて、他のことには気がまわらなかった。
受付は新聞社の同僚のMちゃんが、カメラマンは元同僚のYさん、全体の段取りや他の細かいこと全ては彼が取り仕切った。そういうことが得意な人だから。
そろそろ客も入り始めたし、楽屋に引っ込むか。
私と彼、他のバンドメンバーたちゾロゾロと楽屋に入っていった….
*****************
Crime of Love。
新シリーズのタイトルは、知る人ぞ知る氷室京介のソロアルバム3枚目、冒頭の曲のタイトル。
そのタイトルをもらったのは、当時、私が氷室京介の大ファンで多大な影響をうけたからである。
新聞社のY副編集長からCDを借りて、毎日のように聴いていた。とんでもないヴォーカルと楽曲の斬新さに痺れた。
1992年、私は業界誌記者2年目を迎えて走り回っていた。
玩具業界の新聞で隔週発行、主に新商品の紹介や展示会、店舗の取材、またキャラクタービジネスについての記事など。
*私はのちに、ここで学んだキャラクタービジネスを手掛けることになる*
記事は毎週の編集会議で打合せ、誰がどのネタを記事にするかを決める。各メーカーからのニュースリリースや自分たちが拾ってきた記事など様々だ。
ある日、某自然食品メーカーから同社のオリジナルキャラクターのライセンシー募集のリリースが届いた。その記者会見に私が出席することになった。
内容はこうだ。
同社が1988年に新規事業「クラウン・カレッジ(道化師養成学校)・プロジェクト」を立ち上げ、同年、米国・フロリダ州「リングリング・ブラザーズ・クラウン・カレッジ」に、同社社員が入学、のちに同校初の日本人クラウン(道化師)となり、1989年には、リングリング・サーカスのニューヨーク公演(マジソン・スクエア・ガーデン)に1カ月間、53回もの公演をこなした。
その「日本人クラウン」が帰国し「クラウン・カレッジ・ジャパン(現在は廃校)」の教務を行い、キャラクタービジネスにも参画する、という話だった。
私はこのネタに大いに興味を抱き、記者会見だけではなく、この日本人クラウンの単独インタビュー記事を企画した。
しかし、会議で提案するも、メンバーたちの反応は今ひとつだったが、私はゴリ押しして1面トップ記事を勝ち取るのだ。
なぜ、私がこれほどまでに興味を持ったのか。
それは、この日本人クラウンが、社命で単独アメリカに渡り、クラウンという異文化を身につけ、さらに異国のリングリングサーカス初の日本人クラウンとして活躍した。
こんなフロンティア精神溢れた人間が、日本にいたことに感動したのである。
私は、この日本人クラウンに取材を申し込みインタビューをして、さらに感動する。
頭脳明晰、理路整然とした語り口、育ちの良さそうな振る舞い、常に穏やかな性格、そして何よりもアメリカ仕込みの女性を敬う仕草。
私はあっという間にこの日本人クラウンの虜になってしまうのである…。
あれ? 氷室京介の話は?
そのうち出ます!
YouTubeに飛んで見てね。これ、予告編🤣
To be continued….