あの日は二度と戻らない。
みつ子は、ガマン強い子だった。
吉祥寺時代、原因は不明だが前歯を折って血だらけになったことがある。
三鷹の救急病院で診てもらった時、医師が口の中を診察している間、一言も泣かなかった。
つだ動物病院でも、耳の皮膚炎が悪化した時、検査のために耳の組織を削り取られた。
この時も一言も泣かずに、じっとガマンしていた。
「きっと痛いはずなのに、ガマン強い子ですね。こういう子は飼い主さんに心配かけまいとしてガマンしているんです。それだけに、病気の発見が遅れることもあって、心配なんですよ」
みつ子は、そういう子だった。
でも、2014年4月17日、あの日は違った。
あの女に連れて行かれる時に、悲痛な叫び声をあげて私に訴えたのだ。
私は、あの時のみつ子の目が忘れられない。
まっすぐに私を見て、ありったけの声を出して、もがいていた。
それなのに私は、
「大丈夫だよ」と言って、
みつ子の手を離してしまった。
私は、待合室でじっと待っていた。
不安な気持ちを抑えようと、置いてある雑誌をパラパラとめくって眺めていた。
レントゲンを撮ったら、どこが悪いかわかるんだから、きっと大丈夫だ。
きっと大丈夫だ。
15分ほど経過した頃だった。
あの女が、血相を変えて私のところに走ってきた。
「みつ子ちゃんの容態が急変して…。こちらに来ていただけますか」
「え? 急変って? 何? 急変って何ですか?」
「とにかく、こちらに!」
女のあとについて、奥の処置室に案内されると、大きな診察台にみつ子が横たわっている。
目がうつろで、ぐったりとしている。
そこで、いつもの女医が心臓マッサージをしているのだ。
「どうしたんですか、この子! 何をしたんですか? みつ子に何したのよ! なんでこんななってんのよ!」
私は何が何だか、全く状況がわからず、わめきちらしていた。
「急に呼吸困難に陥って…」
女医が心臓マッサージを続けながら言った。
「だって、あの女がレントゲン撮るって言って連れて行った時は元気だったじゃないのよ! 私にすごい力でしがみついて、大きな声で叫んでたじゃないの! なんでこんなことになってるの? え? なんで? 説明しなさいよ!」
女医はおしだまったまま、みつ子の処置を続けていた。
みっちゃん、みっちゃん!
ママここだよ。みっちゃん!
聞こえる? みっちゃん!
見える? みっちゃん!
みつ子の意識はすでになかった。
半目をあけて、うつろな表情で。
みっちゃん、ママここだよ。
私はみつ子の手を握りしめて語りかけたが、みつ子はただぐったりしているだけだった。
女医がみつ子の心臓マッサージを続けながら言った。
「肺にこんなに水が溜まって…。苦しいはずです…。みっちゃん? がんばって、みっちゃん!」
女医の言葉を、私は聞き逃さなかった。
「先生、触っただけでみつ子の肺に水が溜まってるってわかるんだったら、レントゲンなんか必要なかったんじゃないですか? 先生が診てくれてたら、こんなことにならなかったじゃないですか! あの女はレントゲン撮らないと処置の方法がわからないって言って無理やりレントゲンを撮ったんですよ! あの女、どこに行ったんですか! 連れてきなさい! 説明しなさい! どこに隠れてるのよ、あの女がみつ子をこんなにして!」
あの女は、私の目の前に二度と現れなかった。
病院のどこかに隠れたまま、出てこなかった。
女医はおしだまったまま、必死に心臓マッサージをしている。
しかし、みつ子は少しずつ力を失っていった。
意識を失ったまま、みつ子は二度と私の目を見なかった。
みつあか!
みっちゃんを連れていかないで。
みつあか、お願いだから!
私は天井を見上げて、叫んだ。
しかし、
みつあかは、みつ子を連れていってしまった…。
私は、そのあとのことを断片的にしか覚えていない。
あの女を出せ!と叫び、診察室のものを手当たり次第投げつけた。
ヤブ医者! お前たちに殺されたんだ!と泣き叫び、
興奮状態で、その場に倒れた。
床に倒れたまま泣き叫び、起き上がることができなかった。
つだ動物病院に勤務していた、カルテも見ずに診察した若い女に、みつ子は殺されたのである。
私はつだ動物病院に対し、みつ子が死んだ原因の説明を再三要求したが、いまだ回答はない。
ところが、4月16日と17日の処置料の請求書だけは送りつけてきた。
私は院長に電話して、処置料は支払わない、とはっきりと伝えた。
あなたの病院のあの女の診察ミス、処置ミスによって、
みつ子は殺されました。
殺された代金を支払えというのですか?
そんな話、聞いたことありません。
病院は命を救う場所であって、命を奪うところではない。
出るところに出てもいいんですよ。
それでも支払えと、言えますか?
私は、決して許さない。
つだ動物病院のすべてを許さない。
私の大事な小さな命を奪ったあなたたちを、
死んでも決して許さない。
To be continued…….