I LOVE MY LIFE −猫とROCKと愛の日々−

2022年11月から1年に渡って還暦ブログをほぼ毎日更新、2023年11月からは海外ドラマ「Kommissar REX」そして、REXドラマの🇨🇦版/🇮🇹版のレビュー記事。それ以前は海外ドラマ「Kommissar Rex」全編のレビュー記事です。

Cats‘n’Rock 高円寺編①

 

© Aaron Rapoport/CORBIS OUTLINE/Corbis via Getty Images

 

さて、今日から新シリーズに突入です。
タイトル、「?」ですよね。
実は私、この40年近く猫たちと暮らしている。
猫とロックミュージシャンって似てると思いません?

一筋縄ではいきません…って感じが…
ということで新シリーズでは、歴代の猫たち & ROCKを語っていきます!

 

Edge of Sixteen 80年代ROCKと青春⑥で触れた通り、私にはROCKが聴こえない時期があった。投げやりでいい加減だった高校2年間。その頃の記憶は劣化し風に散ってしまった。

 

neocats.hatenablog.com

 


愛のない行動の連続で、いわゆる不良少女と呼ばれる素行の悪さMAXだった。街では私の名前を知らない高校生はいなかったという。私は、あの学校の教師たちに未来を潰され、怒りに燃え、憤り、爆発した。

 

しかし、高校卒業が見えてきた時、この不愉快な学校から、街から、家から、脱出できる、その希望とともに、私は一変、受験勉強に励む。たぶん試験は全滅だとは思ったが、東京で働きながら浪人できる。やっと独りで生きていくことができるという期待でいっぱいだった。

 

そして上京から1年。
1983年、私は覚醒する!

U2『WAR(闘)』との出会い。

 

Nとの別れ(Edge of Sixteen シリーズ参照のこと)で、私の魂は死んだ。
しかし覚醒のきっかけは、やっぱりROCKの力だったのだ。

U2『WAR(闘)』のヒット曲『Sunday, Bloody Sunday』の衝撃を、今も鮮やかに思い出せる。ある取材の一環で、千葉県の高校の文化祭を見に行った時のこと、校内放送で流れていたBGMが、この曲だったのだ。

私は大学に入ってから、さまざまな団体に顔を出し運動に参加するようになっていた。そんな時、聴こえてきたのがこの曲。ラリーのドラムが戦闘的で、印象的だ。
1983年のU2初来日ライブに行けなかったことが、今も悔やまれるとろだが、二度目の1989年に、私はU2初体験をすることになる。

 

さて、大学入学時は、泉谷しげるにハマっていた🤣彼のバックバンドのサックス奏者に憧れ、ジャズ研に入部アルトサックスを始めるほど影響されたのだ。

 

泉谷しげるに至る過程はこうである。

 

私は浪人中にジャーナリスト保坂展人氏(現世田谷区長)の事務所でアルバイトをしながら、学校解放運動や反原発運動に参加。保坂氏が出版社で仕事をしている間、雑務をこなしたりしていた(今では考えられない)。
浪人中の、1982年8月、青森県で開催された反原発運動イベント下北半島祭」に参加、この時のゲストが泉谷しげると白竜だった。コンサート終わった後の打ち上げにも参加して、泉谷しげると酒を飲んだのがきっかけで大ファンになったのである。

もちろん、フォークシンガーとしての泉谷しげるは知っていたが、彼の音楽はすでにROCKに移行していて、度肝を抜かれた。

 

しかし、泉谷しげるは、序章。
完全に覚醒するのは、U2『WAR(闘)』だ。


これまで何度となく理不尽な扱いを受けてきた(と思い込んでいる)私は、

漠然とした大きなものに、闘いを挑んでいくことになる…。


To be continued….

 


あれ? どこかに猫出てきたっけ?🐱?
あれ? 高円寺って?