I LOVE MY LIFE −猫とROCKと愛の日々−

2022年11月から1年に渡って還暦ブログをほぼ毎日更新、2023年11月からは海外ドラマ「Kommissar REX」そして、REXドラマの🇨🇦版/🇮🇹版のレビュー記事。それ以前は海外ドラマ「Kommissar Rex」全編のレビュー記事です。

Crime of Love NY編③

夜のタイムズスクエア。シャッター速度を遅くしてちょっとアートっぽく撮影してみた😅

 

1996年7月、初めてNYの地に立った私。

NYの街は、私に語りかける。

 

What do you want to do?

 

KISSのコンサートが目的だったはずが、最終的には自分の生き方を考えていた。

これまでの自分の行い、他者との関係性、家族や猫との生活、私とHの結婚が本当にこれで良かったのか?

 

もちろん、KISSのライブを満喫して、さらに大ファンになり、KISSARMYと呼ばれて恥ずかしくないほど🤣のファンになった。

 

驚いたことに、アメリカでは(NYだけかもしれないけど)KISSは尊敬されている。

それを確信したのは、ツアーの人たちとパブに飲みに行った時に、居合わせたアメリカ人たちに声をかけられた時、

「私たちは日本から来たKISSARMYである!」

と言った時の、彼らの顔がそれを証明していた。

ほぉ〜というため息混じりに私たちを歓迎してくれたのである。

それ以降、私はことあるごとに、

「I’m KISSARMY」

と言った😅

すると、100%の確率で「Wow!」と言ってニコニコしてくれるのである。

気分が良い🤣🤣🤣

 

 

日本でそんなROCKバンドが存在するだろうか?

ファンだというだけで、賞賛してくれるバンドが。

 

ツアーで1人参加だったこともあり、ひとりで食事することも多かった。

Hotel Pennsylvaniaの地下にイタリアンレストランがあり、そこでランチを食べたとき、恰幅のいいイタリア系の高齢の紳士が話しかけてきた。

レストランのオーナーだと言う。私がひとりで黙って食事をしていることが不憫だったようで「話し相手になってあげよう」と言って席に座った。

 

マフィアのボスのようなオーナーは、

日本人の団体客は、いつも黙って食事をしているが、それは文化なのか?」

と言う。

 

「ま、そんなところだ」

と答えたら、

 

「つまらないね〜。イタリア人は食事はみんなでおしゃべりしながら楽しく食べるもんだ」

と言って笑った。

 

私は、マフィアのボスのようなオーナーと懇意になり、NY最終日のディナーはフリーで食事をいただいた。今だったら、iPhoneで写真を撮ってFacebookにアップしたいくらいのご馳走! 日本に帰ってきてからも、オーナーとは何度かカードのやりとりをした。

 

Guggenheim Museumの中。Ellsworth Kellyの作品が展示されてた時だ。

 

Solomon R. Guggenheim Museum(グッゲンハイム美術館)や、Whitney Museum of American Art(ホイットニー美術館)など、美術館では多くの刺激を受けた。

それほど遠くない場所にいくつもあったし、小さなギャラリーにブラっと入ったり。

私はひとりでNYの街をブラブラするという、言ってみれば危険な女の一人旅をしていたのだが、前回書いた通り、怖かったのはあのアフリカ系のおじさんに怒鳴られたことだけ。

それ以外は、NYの人たちの優しさ、明るさ、正直さ、みたいなものを受け取って、私のひとり観光は、充実したものになっていた。

もしかしたら、観光客に見えなかったのかもしれない😆

 

朝、ひとりで歩けば、向こうから歩いてくる面識のない男性に「Good morning, it’s a beautiful sunny day, right? Have a goo day!」と挨拶される。

SOHOを歩いている時も、イタリア人と思われるカップルに道を聞かれた。

ケニアでも土着してるっていわれたし、私は別の土地に行くと馴染んでしまう特技があるのかもしれないね😊

 

Macy'sに買い物に行った時のこと。

ドアマンが丁寧にドアをあけてくれて「Good afternoon Mom,」と挨拶してくれる。かなり気持ちいい😆😆😆

 

セール品を持って、レジに行くと「That’s a great deal」と、ニコニコしてくれる。

 

人と人とのちょっとした会話があったかい。

NYは人種のるつぼ、と言う。

だから、すれ違う時に「私はあなたの敵ではない」という意味を込めて、挨拶する。

コロナ禍のNYで、アジア人の女性が道の真ん中ですれ違いざまに襲撃される事件もあったり、誰も彼も良い人ではない。

しかし当時の私には、NYの人々との触れ合いの中で、私の何かが変化したことは確かだった。

英語もダメで、よくわからないことばかりで、でもそれらをもっと理解したいという欲求が強くなった。

 

そして私は、日本に戻る飛行機の中で、必ずもう一度NYに行く。

 

そう、心に決めたのだった…。

 


To be continued….