冒頭の写真は、新小岩時代のLANA。
子育てが終わった頃。甘えん坊の表情になってる😊
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BOSSの失踪事件。
この顛末は、今も涙が溢れて止まらなくなる。
そして、のちに私の生き方を変えることになった出来事だ。
1995年1月、BOSS失踪40日。
冬の曇り空を仰ぎ、神に祈った私は、泣きながらまた歩き始めた。
BOSSの名前を呼びながら、いつもの道を歩く。
電信柱に貼ったBOSS失踪のポスター。横目で見ながら、私はふと思った。
今日はこっちに行ってみよう。
これといって特別な理由もなく、私は別の道を歩き始めた。
左右、上下を慎重に見ながらゆっくり歩く。
見慣れた住宅街。
いつもの路地。
一軒の家のブロック塀を、薄汚れた灰色の猫が歩いていた。
私はその猫を見て、その家の前を通り過ぎた。
……?
薄汚れた灰色の猫をチラッと見た時、水色の首輪が見えたような気がした。
私は、そのまま後ろ向きに歩いて、さっきの家の前で止まった。
薄汚れた灰色の猫は、まだブロック塀の上にいた。
痩せこけて、顔が傷だらけで、目が半分開いてない。
でも、あれは…
見慣れた水色の首輪。
革製の水色の首輪だ!
もしかして、
「ボス? ボス! ボスー!」
私は大声で叫びながらブロック塀まで走った。
灰色の猫は、私の顔を見るなりブロック塀の上で方向転換して、必死に逃げようとしている…しかし脚がふらつき、ブロック塀から脚を踏み外した!
私は駆け寄って、前脚をグッと掴んだ。
シャーッ‼︎‼︎
ギャー‼︎‼︎
パニックになる猫。
力任せに暴れるから、痩せ細った前脚が折れそうになる。
BOSS、私の顔を忘れたのか?
でも、首輪は確かにBOSSの首輪だ。
痩せた首にぶらぶらと揺れている。
私は構わずブロック塀から引きずり下ろし、抱きかかえてその家のチャイムを押し続けた。
助けてください!
開けてください!
すみません、
開けてください!
私は無我夢中でドアを叩いた。
中から、血相を変えた奥さんが出てきた。
「すみません、この猫、私がずっと探してた猫なんです。家から籠を持ってきますから、ちょっとだけこの猫を玄関に入れておいてもらえますか!お願いします!」
私は奥さんの返事も聞かずにドアをバタンと閉めた!
涙で顔がぐしゃぐしゃになっていた。
私は走った。
全速力で家まで走った。
籠を持って、また走った。
ここは、家から2ブロック先の近所の家だったのだ。
「すみません!本当にすみません!」
私は泣きながら謝った。
下駄箱の下に潜り込んで頑なにしている猫を、私はそーっと引っ張り出して、籠に入れた。
「あとで改めて伺います。これから病院に連れていきます!」
私は走った。
大通りまで、走った。
タクシーを捕まえてダクタリ大宮病院まで。
T先生はすぐに診てくれた。
体重は3キロ、失踪した時の半分以下だ。
脱水していたので点滴、とにかく衰弱しているので、いきなりご飯も食べられないだろうから、液体の栄養剤をスポイトで飲ませるように言われて、家に連れて帰った。
塀の上を歩いていた灰色の猫。
それがBOSSだと気づかないほどに、変わり果てた姿だった。
これらはHとの感動の再会。
BOSSは家に帰って、記憶が戻ってきたようで、Hに抱かれて安心しきった顔になった。
でも、本当は辛くてあまり見たくない写真だ。
BOSSは失踪中、誰かにご飯をもらうことも、獲物をとって食べることもできなかった。
胃の中は空っぽだったのだ。
しかし太っていた分、40日間を耐えることができたのだろうと、T先生は言った。
この日のことを、私は鮮やかに覚えている。
空を仰ぎ神に祈り、もうBOSSを探すのは嫌だと私は懇願したのだ。
そして、なぜかいつもとは別の方向へ向かうのだ。そのあとすぐに塀の上の猫に気づく。
もしあの日、私がいつもと同じ道を歩いていたなら、BOSSを発見できなかった。そして、BOSSは死んでいたかもしれない…それほどに衰弱していた。あと数日、生きるか死ぬかの境界線を彷徨っていた。
神は、私の叫びを聞いたのだ。
BOSSの叫びも聞いたのだ。
BOSSは12月の中旬頃から、あの家の近所の屋根の上や塀の上でウロウロしてたという。
すぐそばの電信柱に貼ったポスターは、いつも見ていたのに、同じ猫だと思わなかったと、あの家の奥さんは言った。
確かに。
あのふっくらとしたBOSSの姿とは似ても似つかない姿だったもの。
とにかく。
BOSSは帰ってきた。
40日間の放浪の末に。
何があったのか、神とBOSSしか知り得ないこと。想像もできない何かがあったのだろう。
暗くて長い長いトンネルを、ようやく抜けた私とHだった。
そして。
1月17日、阪神淡路大震災。
私たちの生活が大きく変わる出来事だった…。
To be continued…