まず、ここで語っているケニアの様子は30年前の話だということを言っておきたい。
私たちは旅の前に、ケニアでの注意事項を旅行会社の担当者から聞いて、俄かに信じがたいものがあった。
しかし、トラブルは避けたかったので、万端の準備をしていった。
それは、
☆子どもに気をつけること!
ということだった。
日本人は金持ちで優しい民族。
それで、親が指示して子どもがチップをねだりにくる、というのだ。その時、ほんのちょっとの同情心から小銭でも渡したら、とんでもないことになるという。
あとから、子どもの親、親戚一同を連れてホテルに押しかけ、お金をせびられるという事態。だから子どもが寄ってきたら、お菓子をあげてごまかすこと!
私たちはケニアの子どもたち用に、ありとあらゆるお菓子を用意した。
ナイロビ初日、ホテルから出て街を散策すると、ほらほら、来た来た。
小さい女の子、おそらく3歳くらいだ。母親は道に座って物乞いのような感じ。その側にいた女の子が、小さな赤ちゃんをおんぶして(!)こっちに歩いてくる。
あー、やばいな。
女の子は、私に向かって話しかけてきた。
こんな小さな子が、さらに赤ちゃんをおぶって、かわいそうで見ていられない。
でも、ここでお金を渡せば大変なことになる。
私はキャンディーの袋を出して、その子の小さな手のひら乗せた。
これで勘弁して。
そんな思いだった。
女の子は、そのキャンディーを見て、落胆と怒りの表情で、キャンディーを地面に投げつけた。そして、キャンディーに唾をぺっと吐いて、母親のところに戻って行ったのだ。
私は、驚きと悲しみがごっちゃになり、情けなくて涙が出た。唾かけられ地面に転がっているキャンディー。
あんなに小さい子に、私はなんて情けないことをしたのだろう。
だけど、私には何もできない、だってこの子の親戚一同がホテルに押し寄せてきたら、大変だもの。
もっといっぱいお金があったら…そう思ったけど、それは違う。お金を渡せばそれで済む話なのか?
私は、自分がいかにぬるま湯の中で生活していたかを感じ、ただただ落ち込んだ。
☆何でもいいから、お土産屋で買い物すること
「サファリの途中、ガイドさんがSouvenir shopに案内するから、何でもいいから何かを買ってあげてください」と旅行社の担当に言われた。
サファリで移動中にMr.Mishackが何軒ものSouvenir shopに案内するので、私たちはずいぶんいろいろなものを買ったね😭
ある日、サファリカーが故障して、Souvenir shopの前で修理しなければならなくなった。
*今思えばこれも、実はMr.Mishackの計らいだったのかもしれない😊
修理の間、そこに居た10歳くらいの少年たちが話しかけてきた。この時の少年たちは、チップをねだるのではなく、好奇心で近づいてきたのだ。
少年たちは矢継ぎ早に質問してくる。
「日本の政治団体はいくつある?」
「政治団体?うーん、4つ?5つか?」
「広島に原爆がおちて、日本は二つに分断したんでしょ?」
「は?????」
「空手できるから、見てて!」
「おー!!!すごいすごい」
「○✖️♾️➖っていう極真空手の先生知ってる?」
「ごめん、知らない」
「僕はマラソン練習して、日本に留学するんだ!」
「おーがんばれー!」
とにかく明るくて、みんな元気で、空手の振りを教えてもらったりして、日本に憧れてる様子が可愛くて嬉しくなった出来事だった。
サファリカーの修理が終わって、さぁ出発!という時にオヤツ袋を少年たちに全部あげた。
みんな大喜びで袋から出して、包みを破って…
じーっと見つめたまま、食べようとしない。
「It’s Japanese cookies. You can try!!」
お菓子って、醤油煎餅よ🤣
少年たちは怪訝そうな顔をしていたが、1人がバリバリっと食べたら、みんなもバリバリと食べ始めた。
その時の彼らの顔ときたら🤣
ナンダーこれー!と不味そうな顔をしながらも飲み込む子、なかなかイケるって顔してる子、ベーっと吐き出す子、ほんとにいろいろで、笑えた。
醤油味がまったく普及していないケニアでは、不可思議な味だったんだね。
あれから30年、すっかり大人になった彼らはどうしているだろう。
あの少年はマラソンで日本に留学したかな。
決して豊かな生活ではないケニアで、少年たちが希望を持って目を輝かせている姿、一方で、3歳の少女が親に指示され、現実を受け入れ、厳しい眼つきで生きる姿。
どちらも30年前に出会ったケニアの子どもたちだ。
今は、もっと豊かになっていると信じたい。