私の原点・30年目のケニア
第3回 野性の掟・死の瞬間まで生きること
サバンナでは、生と死が隣り合わせだ。しかし人間同士のそれとは違う。憎悪や悲しみが伴うものではなく、あくまで自然の営みである。
ライオンがシマウマをハントした場面に遭遇した時、私はショックで泣いた。しかし、やがて私は理解する。生きるためのハンティングであり、それ以上でも以下でもない。獲物は命を失った時から一塊の肉となり、ライオンたちの数週間の命に代わる。
その繰り返しだ。
ある日、私たちは1頭のライオンに遭遇した。
死を目前にしながらも、凛とした顔つきの雄ライオン。
あの日、彼の目に映ったものは何だったのだろう?
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ネコ科は、本来、群を作らず単独で行動する。
子供を作る時だけ、夫婦になって、仲睦まじい姿を見ることもあるが、子どもが生まれると、父親はまた単独行動を続け、母親は子育てに専念する。
なぜ、ライオンだけが群を作るようになったのか。それは、確実に生き残る確率が高いからである。
今、ネコ科の動物は全てが絶滅危惧種に指定されているが、ライオンだけは比較的個体数は多かった。しかし近年、雄ライオンの頭部を剥製にするために狩をする人間たちのせいでライオンの頭数も激減している。
ライオンの群は、雄ライオンと複数の雌ライオンのハーレムだ。狩の仕事は雌ライオン。
獲物を最初に食べるのは雄、次に子ライオン、最後に雌だ。
何か、雌だけが理不尽な扱いを受けているような感じだ😔
しかし、雄は群を守るのが仕事である。
いざという時に、命をかけて群を守る。群を狙う若い雄との闘いだ。
若い雄は、群の雌を横取りするために、闘いを挑む。
その闘いで群の雄が負けた時、容赦無く群から追われるのである。
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サバンナで遭遇した1頭のライオンは、見通しの良いサバンナのど真ん中を、ゆっくりと歩いていた。
Mr.Mishackが車を近づけ、ライオンのそばでエンジンを止めた。
骨が皮を突き破ってしまうほど、やせ細った雄ライオンだ。
左の後ろ足を骨折しているようで、びっこを引きながら辛そうに歩いていた。
体とはアンバランスな立派な立髪は、風に揺れ、凛とした顔の表情からは、全盛期の時代には数頭の雌と子どもを引き連れて群を守ってきたに違いない、と思わせる威厳があった。
その表情、立ち居振る舞いが、サファリカーの中の3人を釘付けにした。
闘いに敗れた雄は、群れから去る。
狩りも自分でしなければならない。
脚の骨折は、おそらく狩りをしたときに失敗したのだろう。
骨折したままでは、狩りもできない。
生きるためには、誰かの食べ残しを探すしかない。
こうして彼は、食べ残しを探して、歩き続けているのだ。
歩いていた彼が、ふと立ち止まって、振り返った。
私は、すかさずシャッターを押した。
振り返った先に、彼が見たものは、一体何だったのだろう。
しばらくすると、彼は真っ直ぐ前を向き、また歩き始めた。
びっこを引きながら、ゆっくり歩いて行く。
私は、後ろ姿を見つめ続けた。
胸が締め付けられるほど寂しくて、涙が溢れて止まらなかった。
Mr.Mishackは言った。
That lion dies soon.
He walks till he dies.
That's it.
あのライオンは、もうすぐ死ぬ。
彼は死ぬまで歩く。
それだけだ。
今を受け入れ、その瞬間を精一杯生きるだけ。
そう、ただ前を向いて歩いて行くだけ。
それだけだ。
死ぬ瞬間まで生きること。
それが野生の掟だ。
私はあの日、
確かに、真の百獣の王を見たのである。
To be continued….