愛の時代
里中満智子 作
思春期をふと思い出し、少女漫画を読み始め「愛ってなんだ?」な〜んて、今さら右往左往してる。愛をテーマにした良書はいくつもあって、例えば、エーリッヒ・フロム著「愛するということ」、キルケゴール著「愛について」、亀井勝一郎著「愛の無常について」などなど。若い頃にこれらの書籍に出会っていたらな…
それはさておき、漫画の話ね。主人公・由希を愛する三人の男たちの愛の形。ホント興味深いよ。
まずは、幼なじみの拓。終始苦悩してる彼は、由希に言う。
お前を苦しめる奴から守ってやる。命をかけても。
一生命がけで守ってやる。
お前のためなら地獄に落ちてもいい。
愛してくれなくてもいい。
きみの存在だけでいい。
もうね、痛々しくて、涙が出るの😭
だけど思春期の頃って、愛ってこういう感じで突っ走ってたよね。
そして、倫人の愛の形はというと…
男の心の中には、山が一つそびえているんだ。
その山のいちばん見晴らしのいい場所に、君を座らせたい。
ずっとその場所にいてほしい。
全身全霊かけて君を幸せにする。
一生君の求める喜びを与え続けさせてほしい。
めちゃくちゃイケメンなのよ、倫人って😭でもだからこそ、すごい独りよがり。
見晴らしのいい山頂に座ったら、一瞬幸せになれるような気がするけど、で?それから?って言いたくなる…。
そして、愛を知らずに育った穣史の愛の形は?
穣史は物語終盤に白血病に犯され、余命数ヶ月と宣告される。そこでようやく愛とは何かを知る。
自分以外の人のためにも生きたい。
自分よりもその人の幸せを願う…
愛など信じなかったこの俺が、誰かのために生きたいと願うなんて…。
だが…、由希に愛されることを望んだりはしない。
どうせ短い命だ。
もし愛されたりしたら、その人を置いて死ぬことがつらくなるだけだ。
穣史はひたすら、由希がデザイナーになるための援助を続け、由希がショーで大成功を収めた日に、天へと旅立っていく。
由希が物語冒頭で「愛しています」と言った相手は、穣史。そして由希は、心の中で生き続ける穣史と二人で生きていくんだという希望に満ちたラストシーンで物語は終わる。
命がけ、あるいは同等の自己犠牲で愛を体現したのは、言うまでもなく穣史だった。私がベルばらを読んで疑問を抱いた「命がけの愛」の答は、死んでも相手の内で生き続けること。愛を注ぐこと。私はこの物語からその答を導き出した。
聖書のイエスの愛は、ギリシャ語のアガペーだ。ここに到達するのが人間の最終目標だとすれば、愛の時代で拓や倫人の愛し方を経て穣史へと昇華する過程でアガペーの理解が深まる。
私は里中満智子さんの漫画に感謝したい。愛を理解できなかった思春期に遡ってあの時の「なぜ?」にようやく答を出すことができたからだ。
この「なぜ?」のストーリーは次回ね。
70年代少女漫画に学ぶ(完)